過去に XXX をしておけば良かった、という命題は真か偽か

TL;DR

  • 自分の場合はほとんど偽、と思う
  • ただプログラミングは何かしらやっておければ良かったのかもしれない

「過去に XXX をしておけば良かった」というのは割とよく目にする statement である。 大学時代に真面目に数学をやっておけば良かった、みたいな話である。

ここでは特に XXX に技術的内容が入る場合に限定し、自分の場合はどうだろうかというのを考えてみる。 過去を省みるより今(もしくは将来)どうすべきかを考えよう、というのが自分のスタンスだったはずだが、30歳を超えるとちょっと振り返ってみるか〜という気持ちになったりもするのである。 30年って結構長いからね。

前提条件

現実的な範囲で実行可能であったことに限る、という前提条件はつけておく。

「大学院の時に論文を50本書いて total citation を10000くらい稼いでおけば良かった」というのはそりゃできるならやっておきたかったが、現実的には自分には不可能だったと断言できる。

この前提条件がないとただの夢想になってしまうので、今回の議論で重要。

以下にいくつかの命題を並べるが、何となく考えたことがあるものを適当に列挙しただけで、特に深い意味はない。

いくつかの命題

大学入学までに指導要領を超えた範囲のことに取り組んでおけば良かった

これは偽だ。

ちなみに心情的には完全に真である。 自分の観測している範囲には実に色々な経験を経ている人がいて、やっぱりそういう人は面白い人が多い気がする。 例えば、中学生の頃に気がついたら特殊相対論の勉強してました、テレビとかラジオの興味から入って三角関数とかフーリエ変換とか自然に勉強しました、みたいなエピソードは聞いてて面白いものである。

しかしこれは自分の場合は現実的にはかなり難しかったと思う。 こういうことを実現するには

  • 凄く優秀で勝手に突き進んでいったり周りが手引する
  • 色んな世界があることを情報として入手して興味があるものに着手する

みたいにならないといけないが、自分はそうなってなかった。 前者は全くで、周りと比べて少し試験の成績が良いというだけの人間だったのでまあ無理な話であった。 後者も自分の世代はまだまだインターネット黎明期という感じで、ごく一部の人だけが知っている世界という感じだった(少なくとも自分にとってはそうだった)。 自分は学校で勉強して部活をして、という感じの生活で周りに詳しい人もいなかったため、なんと言うか世界の広がりを実感できるような機会はあまりなかった。 ということで偽であろう。

凄く優秀というところは個人に依るが、色々な情報が手に入るということは現在では誰にとっても比較的容易なのでこれは良いことだと思う。 情報にアクセスできることとそれを有効活用することには大きな乖離はあるが、それでも若いうちから自分の知らない世界を簡単に知ることができることは大きな可能性につながるんじゃないだろうか。

バイトせずに学問に励めば良かった

これは偽だ。

大学時代に塾講師のバイトを4年間やったが、これはかなり自分のためになった。 元々プレゼンが全然できなかったが、このバイトで訓練したおかげでかなりスキルが向上した。 しかもこのバイトで知り合った他の学部の知人はその後も親しくしてくれていて、そういう面でも凄くプラスだった。 このバイトのおかげで大学生の時に人間味のある生活が送れた、といっても過言ではないレベルだと思っている。

学部1,2年はバイトばかりで明らかに勉強量が少なかったが、最低限はやって単位も取っているし、これに関しては「こうしとけば良かった」みたいな気持ちはほぼ湧かない。

大学・大学院時代にもっと勉強・研究しておけば良かった

これは偽だろう。

学部1、2年の頃は大して勉強してなかったのでちょっとそういうことを思わないでもないが、3年以降は相当頑張ったのであれ以上できたかというと自信はない。 大部分が物理と数学だったので他の分野の知識とか得られれば良かったかもしれないが、あれだけ頑張って何とか博士号を取れた、というのが自分の実力なのでそれ以上は高望みな気もする。

ただ、効率が悪かったという面はある。 とにかくやらねば思って図書館や研究室で夜通し頑張っていたが、これは間違いなく非効率だった。 健康的に生活して健康的に勉強・研究する、これができるのが一番ですね。 しかしそれが分かってるくせに未だに締切に追われてギリギリでやったりするあたり、まるで成長していないかもしれない…

とにかく振り返ってみて、総量という意味では自信を持って頑張ったと言える。 それでも勉強が足りないと言われたり周りに敵わない人がたくさんいたわけだが、自分のような凡夫が博士号を取れたのは必死こいて頑張ったからなのは間違いない。

一方で、勉強の仕方や研究の仕方というのは大学でちゃんと教えてあげる必要があるのではないかと思う。 物理とか数学に関しては闇雲に本や論文の数をこなしても身になってない場合も少なくないので、どう学んでいくのが力になるかというのは学問の入り口で適切なガイドがあれば道に迷う人が少なくなるのではないかなと思う。 例えば、本を盲目的に信じないとか、自分の言葉で論理を再構築するとか、何かの前提条件の下で成り立つ事象に対してその前提条件が壊れる場合を考えてそれが何を意味するかを考察するとか、どうやって知識を理解に昇華していくかはアドバイスがあった方が良いと思う。 でも振り返ってみると大学の講義とかでそれを言われていたような気もするんだよなぁ。 やっぱり実感を伴わないとそういう学び方にシフトするのは難しいのかもしれない。

博士号を取らずに就職しておけば良かった

これは間違いなく偽。

収入面だけで言えばそうした方がきっと良かっただろう。 学振(DC2)をもらっていたとは言え、学部時代も奨学金を借りていたので、修了時の借金は636万円だった。 なんやかんやあってもう完済してはいるが、これは世間的に見て少なくない金額だろうし、修士卒で就職していれば状況は相当マシだったのは間違いない。

じゃあなんで偽なのかというと、自分で自分のことを面白い人間だと思えるようになるためにはこの経験が不可欠だったからと思う。 何か特別なものを持ち合わせているわけでもない自分にとって、少なくない時間(長年研究者をしている人からすれば高々5年ではあるのだが)を費やすことで自身のバックボーンが形成されたことは、過去の自分に great job と声を掛けたいほどである(当時はそんな先のこととか全然考えてなかったんですが)。 そして自分の中で判断の基準ができたというのも大きい財産だった。 これは長くなりそうなので別の機会にまとめよう。 端的に言うと、自分がいかに物事を理解していないかということが理解できるようになった、ということだ。

ただし、若者が日本で博士号を取りたいと言っても、よくよく考えて決めた方がいいとアドバイスをして強くオススメはしていない。

プログラミングやっておけば良かった

これは限りなく真に近い。

一応自分の今の肩書はエンジニアだが、その能力はまあお粗末なものである。 ある程度しっかりプログラミングに取り組み始めたのがこの2年くらいだし、それも論文を読んだり書いたりその他諸々もやりながらなので、はっきり言って理解が乏しい。 自分としては優秀なプログラマになりたいという気持ちはあまりないのだが、使ってるものの原理とか哲学みたいなものはもっとちゃんと理解したいと思っている。

そう考えた時に、やはり昔から触っていればよかったと思うことはままある。 うん、これはやっぱり真なのかもしれない。 ただ、昔から触っていたとして現状に大きく影響するほどの理解ができていたのかというのは疑問符である。 前述のように多大なエネルギーを費やして何とか博士号を取れたという事実に鑑みると、昔から触っていたとして深く理解ができるほど熟達できたのだろうか。 自分の能力からいうとそれはちょっと難しかったのではないか、という気もする。 まあこれは考えてもせんかたなしなので、来世同じパラメタで生まれたら実験してみるとしよう。

現代(そして恐らくそれなりの未来の期間)においてはエンジニアの需要は高いので、これはやっぱり教育で扱うべき話題だなとは思う。 どんなことをやらせるべきみたいな議論はここではしないが、何か(ソフトウェア的な意味で)欲しいものがあったら自分で作ればいいんだという思考回路になれるといいなぁと思う。

海外で就職すれば良かった

これは偽だ。

そもそも自分が社会人としてやれてるのは新卒一括採用のおかげである。 博士号を取ったと言ってもそれ以外は何も持っていなかった。 データ分析をやろうと思っていたが、線形回帰?(物理の時は最小二乗法という言葉でしか習った記憶がない)機械学習?Git?Python?R?、という有様だった。 それでも良い感じに進めて来れたのはいわゆるポテンシャル採用の恩恵であろう。

海外の採用事情に詳しいわけではないので日本じゃないとダメだったのかという問いには答えられないのだが、少なくとも日本にいることで不利益を被ったということはないと思っている。

自分の過去だけを振り返ればそう思うが、個人レベルで国際的な競争力を高めた方が何かと良いこの時代、必要があればどこにでも行くし行けるという実力を蓄えておくことは必要かなと思うようにはなっている。

まとめ

色々振り返ってみたが、自分の場合はプログラミングを除いて偽だった。 過去の自分の選択を正当化したいというバイアスはかかっているかもしれないが、まあ別にそれでいいのではないか。




Written on March 10, 2018